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「ひと」ということを考える稽古:谷口礼子 [『樽見鉄道スリーナイン』]

谷口です。じゃこです。

実は、7/4の日記担当は私でした。
遅刻しまくって7/6になってしまいました。うおーーー!

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『樽見鉄道スリーナイン』にむけて、稽古が進んでいます。

先日、稽古で、「お芝居を作るとき、何を考えてる?」 という話になりました。

面白かったのは、片山さんは「状況」や「シチュエーション」といった、その役の人物を取り囲む周りのことをとても大事にして人物を演じていくのに対して、
私はもっと個人的な、演じていく中で発生する感覚とか感情について、谷口自身が納得できるかどうか、という判断に基づいてお芝居をしているということがわかったことです。

そして、どっちも行きつこうとしている場所がとても似ているので、お芝居を作っていてもお互い「なるほど」といえるのだということもわかりました。

写真 5.JPG

また、大沼さんとは、「人は年を重ねてもあんまり変わらないんじゃないか」という話をしました。
いわゆる「おじいさん」や「おばあさん」のような話し方をする年配の人って、今の日本にはほとんどいませんし、
「おじいさん」「おばあさん」の世代になった人たちの喋り方が、その人たちが私たちくらいだった時とものすごく変わったかと言ったら、そうではないんだろうと思うんですよね。
ぬまさんは、「おじいさん」の世代になったとしても、「こんにちはああ~~。お~ぬまでぇ~す。」と言ってるだろうし、そう考えると、人が年を重ねたなあと感じさせるのは、どういう部分なんだろうね。ということを考えました。

写真 3.JPG

お芝居をしていると、しばしば、「ひと」っていうのはどういうことなんだろうかと考えます。
どういう「もの」なのかというのが正しいのでしょうけれど、
「もの」と限定ができないほど「ひと」であるというのは周りとものすごく密接で、
「ひとであること」という「現象」であるようにも思えます。

その「ひとである」という現象について、私たちは考えているような気がします。

例えば、隣に人がいるから、自分と他人が違うということに気づく、とか、
他人に気を遣うがあまり、いつもと違うふるまいをする、とか、そういった現象すべてが、
些細なことから全部、「ひとである」ということで、
さらにひとりひとりに別々の世界が存在して、
交わることがあったりなかったりする。

お芝居ではそれを取り出したりして、
ああ、私たち「ひと」なんだなあ、
いろいろなことが、しかたのないことで、
いろいろなことが、捨てたもんじゃないな、
というようなそんなことを感じることができるのが、素敵なところなんじゃないかと私は思うのです。

写真 1.JPG

セリフの言い回しや、台本の解釈や、細かい人物設定を考えるのも素敵だけど、
メンバーみんなが「ひとである」ということを、何となく実感した、大事な稽古日になりました。

写真 4.JPG

次回の稽古が楽しみです☆
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