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岐阜県と鹿児島県:大沼優記 [『島津の疾風2013』]

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大沼です!

『島津の疾風』の公演まで2ヶ月を切りましたー!

そんな先日、緑川さんと僕は岐阜県上石津町に行って参りました。

何をしてきたのかと申しますと………

ずばり、お墓参りです。

まずは、烏頭坂にある島津豊久公の顕彰碑を訪れ。

その後、牧田にある琳光寺にて長寿院盛淳公のお墓参り。

そして、多良の島津塚にて豊久公のお墓参り、並びに豊久公の菩提寺・瑠璃光寺の参拝。

その後は、桝屋伊兵衛翁顕彰祭に出席して参りました。

『島津の疾風』には直接関わりのある人物ではない桝屋伊兵衛翁。

ですが、今の岐阜県と鹿児島県を語るにおいて不可欠なお方ですので、この場を借りて是非ともご紹介させていただきたいと思います!

江戸時代の宝暦年間。

岐阜では、幕命で薩摩藩による宝暦治水工事という、木曽川、長良川、揖斐川の分流工事が行われました。

当時江戸にて領主に仕えていた上石津出身の伊兵衛翁は、この工事のために岐阜に帰国しました。

ですが、工事は失敗を重ね、薩摩藩士の自害・病死が続くような状況でした。

この状況を目の当たりにした伊兵衛翁は、「水神様がお怒りなのだ」と周りに伝え、自分が人柱となってお怒りを鎮めることを決意し、命を犠牲にして濁流に身を投じたのです。

その後、「桝屋伊兵衛の死を無駄にしてはならない」と、薩摩藩士達は懸命に工事を行い、難工事を完成させたそうです。

この縁により、岐阜県と鹿児島県は今でも教職員の交流研修を行うなど密接な関係が築かれています。

顕彰祭には、鹿児島県からもたくさんの方々がご出席なされました。

関ケ原だけではなく、岐阜県と鹿児島県は様々なところで繋がっているということを深く感じた一日でした。

うぅー!身が引き締まりました!!

『島津の疾風』も、お話そのものが鹿児島県と岐阜県を繋ぐものです。

演劇だからこそできるメッセージ性を携えて、再来月は鹿児島に参りたいと改めて感じました!!
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