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宮沢賢治とBLACK MUSIC② 片山耀将 [ 『葡萄酒いろのミストラル』]

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さて、宮沢賢治さんがテーマの舞台。

その稽古場のBGMに、何故にBLACK MUSICがはまったのか。



BLACK MUSICの生みの親である黒人達は、かつて(今も無くなってはいない)人種差別という、険しく、そして深い谷を乗り越えようとしていた。



そこから生まれる貧困や、生活空間の矮小さ。



彼らはそれらに対し、様々な抵抗を見せた。



行き場のない憤り、悲しみ、自分たちへの賛歌。



その思いは、グラフィティ、ラップ、ブレイク、DJ、様々な出口から、世界に向かって放たれた。



日本も同じだ。



「敗戦」というものから、立ち直るべく、昭和に生きた人間達は懸命だった。


闇市が並び、明日の生活さえも見通せぬままに生きる。


だが、自分達の世界は終わった訳じゃない。


あるものは事業を起こし、あるものは芸術に、自らの一生を傾けた。


宮沢賢治さんもその一人。


俺が賢治さんに抱くイメージは決して明るいものではない。

暗い部屋で、何かに怯え、窮屈そうに縮こまっている。

そんなイメージだ。


だからこそ、彼の作品はああも自由に動き回っているように思う。

詩という跳躍運動の為には、その中に逆の方向に向かう力がなければ、遠くには飛べない。

彼の中には、可能性を信じる前向きの力と、現実に失望した後ろ向きの力の反作用が、とんでもなく危うげな均衡を保ちながら存在していたように思うのだ。


スラムの狭い路地で、高い夜空と自らの現実の狭間で生きる黒人のような。

彼らが、その中でリリックを生み出していったように、賢治も詩を生み出していった。


永訣の朝なんて、まんまBLACK MUSICだ。


悲壮感の中に、小さな小さな希望の光を宿した弱者の叫び。


俺はそう、思うのだ。


だからといって、ミストラルの宮沢賢治が「NEW ERA」を被っている訳じゃない。
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