戸次川へ行ってきました:伊藤十楽成 [『七人みさき』]
まいど! とらしげです。
今年2月、長宗我部を語るうえでは欠かせない「戸次川の戦い」があった、戸次川(現在の大野川)へ行ってきました。
まずは、長宗我部元親ら四国連合軍が布陣していた鏡城(大分県大分市竹中)へと向かいます。
写真右手の家の横の道から細い住宅街を抜け、さらに山道を登っていきます。
この日は雨だったので、足元が若干悪かったです。けっこう傾斜もあるので、くれぐれも歩きやすい靴で行くことが肝要!
さあ、着きましたぞ! こちらが鏡城跡からの眺望にございます。
これは、なかなかに見晴らしがよい場所でございますな!
確かに陣を敷くには最良の場所かと。
対岸の写真右端辺りが長宗我部信親戦没地点、
左端の鉄橋を渡って延長線上の山の中に、信親の墓があるようです。
案内板と実際の風景を照らし合わせながら、当時の情景に思いを馳せるひととき。
両軍合わせて2000人を超える戦死者を出す激戦であったそうです。
2007年に初めて高知を訪ねて以来、こちらもいつか自分の足で訪れようと決めていた場所。
旧暦の12月12日ですから、時期的にも割と近くに訪れることが出来ました。
さて、今度は先ほどの鉄橋を渡り、山の中の一般道をひたすら抜けて、長宗我部信親の墓(大分市上戸次)へと参ります。
墓地の入口には、まず戸次川合戦の慰霊碑が建てられています。
すぐ傍らには、戸次川の戦いに関する案内板。
予備知識として十分な内容が記載されています。
そして、こちらが信親の墓。
お参りさせて頂きました。
なお、十河存保ら十河一族の慰霊碑も同じ墓地内にあります。
『誰ガタメノ剣』『七人みさき』の公演に関わる者として、この地へようやく訪れることが叶いました。
『七人みさき』、必ずや皆さんに喜んで頂ける公演にするべく、また今日から決意を新た臨みまするぞ!!
伊藤十楽成
今年2月、長宗我部を語るうえでは欠かせない「戸次川の戦い」があった、戸次川(現在の大野川)へ行ってきました。
まずは、長宗我部元親ら四国連合軍が布陣していた鏡城(大分県大分市竹中)へと向かいます。
写真右手の家の横の道から細い住宅街を抜け、さらに山道を登っていきます。
この日は雨だったので、足元が若干悪かったです。けっこう傾斜もあるので、くれぐれも歩きやすい靴で行くことが肝要!
さあ、着きましたぞ! こちらが鏡城跡からの眺望にございます。
これは、なかなかに見晴らしがよい場所でございますな!
確かに陣を敷くには最良の場所かと。
対岸の写真右端辺りが長宗我部信親戦没地点、
左端の鉄橋を渡って延長線上の山の中に、信親の墓があるようです。
案内板と実際の風景を照らし合わせながら、当時の情景に思いを馳せるひととき。
両軍合わせて2000人を超える戦死者を出す激戦であったそうです。
2007年に初めて高知を訪ねて以来、こちらもいつか自分の足で訪れようと決めていた場所。
旧暦の12月12日ですから、時期的にも割と近くに訪れることが出来ました。
さて、今度は先ほどの鉄橋を渡り、山の中の一般道をひたすら抜けて、長宗我部信親の墓(大分市上戸次)へと参ります。
墓地の入口には、まず戸次川合戦の慰霊碑が建てられています。
すぐ傍らには、戸次川の戦いに関する案内板。
予備知識として十分な内容が記載されています。
そして、こちらが信親の墓。
お参りさせて頂きました。
なお、十河存保ら十河一族の慰霊碑も同じ墓地内にあります。
『誰ガタメノ剣』『七人みさき』の公演に関わる者として、この地へようやく訪れることが叶いました。
『七人みさき』、必ずや皆さんに喜んで頂ける公演にするべく、また今日から決意を新た臨みまするぞ!!
伊藤十楽成
コメント 0